人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬
 にんげんばんじさいおうがうま
人間の幸・不幸は国境のとりで近くに住む老人の飼っていた馬のようなものである。人間の幸・不幸は定めがたいたとえ。

「禍福は糾える縄の如し かふくはあざなえるなわのごとし」を具現する寓話になっている「人間万事塞翁が馬」はよく知られている故事成語です。御存知の方も多いと思いますが漢文名言辞典の解説文を紹介します。

国境の塞(とりで)近くに、うらないの巧みな老人が住んでいた。
飼っていた馬が胡(こ)の国に逃げてしまったので、近所の人が見舞うと、老人は「これは幸福の基(もとい)になるだろう」と言う。

その言葉通り、数か月後にその馬が胡の駿馬を連れて帰って来た。近所の人が祝うと、老人は「これは不幸の基になるはずだ」と言う。

老人の家では、多くの良い馬に恵まれたが、その子が駿馬を好み、馬から落ちて足を折ってしまった。近所の人が見舞うと、老人は「これは幸福の基になるだろう」と言う。

さて一年後、胡が大挙して塞(とりで)に攻め込んで来た。若者たちは弓矢で防戦したが、十人中の九人が死ぬという激戦であった。しかしこの子は足が不自由だったために戦わずにすみ、親子ともども無事であった、

という『淮南子(えなんじ)』の寓話(ぐうわ)に基づく。



「人生、何がいいのかわからない」30代の頃にときおり口にしていた言葉です。

人間万事塞翁が馬」ほどの展開はなくても目の前に起きている出来事が「禍い(わざわい)」なのか「福」なのか、にわかには判別できないことがあります。

 

「第一志望の大学、あるいは会社に進んでいたら今の自分はなかった。あの時は挫折感しかなかったけれど、ふりかえってみれば第一志望の大学・会社にいけなかったことが幸いした」といった類の話は鑑定の場でもたびたび耳にします。

 

基本的には希望が叶う、願いが成就すれば幸せです。しかしのぞみが叶わず落ち込んでいたのに、時を経てみれば、願いが成就できなかったことが、かえっていい結果につながる、そのようなことが人生にはあるものです。


禍いと福いは隣をなす
わざわいとさいわいはとなりをなす 
荀子

禍いの中に福あり 
わざわいのなかにふくあり 
淮南子

禍いを転じて福いと為なさん
わざわいをてんじてさいわいとなさん   
十八史略


故事成語の読み・解説は下記の2冊から引用致しました。
◎漢文名言辞典 大修館書店
鎌田正・米山寅太郎
◎中国古典名言事典 講談社
諸橋轍次

人相

吉凶禍福について菜根譚(さいこんたん)ではこういっています。

人生の福境禍区は、皆念想より造成す
じんせいのふくきょうかくはみなねんそうよりぞうせいす

人生の幸福・不幸の境界は、皆その人の心の働きそのものがつくり出すものである。人間の幸・不幸はその人自身の心によることをいう。

 

人の幸・不幸は、その一念の持ち方によるので、欲望のとりこになれば焦熱・苦海や地獄でのたうちまわることになる。だから一念を清浄に持し、また、迷いから目覚めよという釈尊の言葉を用いながら説明する。明の洪自誠の『菜根譚』に述べる言葉。
菜根譚 明の時代の書 洪自誠著(こうじせい)



上記と同じように、心の持ちかたによって、人は不幸にもなれば幸福にもなる、ということを三国志では

意の存する所は、便ち禍福と為る
いのそんするところはすなわちかふくとなる

と言っています。

 


20年前に83歳の女性を鑑定しました。対面して思わず「美しいお顔されていますね」と言いました。お世辞でもなんでもありません。本当に美しかったのです。美しい相をされていたのです。

 

皺(しわ)はたくさんありました。その皺が美しさを生み出しているのです。お笑いになると皺も一緒になって笑い、見ている側も自然に笑顔になります。

 

「皺は自ら施した自然の化粧」と勝手に言っているのですが83歳の女性の化粧はパーフェクトでした。

 

会った人の心を和ませてくれる美しい人相の持ち主は、しかしながらその人生は波乱に満ちたものでした。時代背景もあります。みんなが大変だった時代です。

 

お話をお聞きすればするほど、それなのになぜこのような美しいお顔をされていらっしゃるのだろうと不思議に思いました。年齢を重ねると人生は顔にでます。顔は嘘をつかないのです。

 

顔のことを面(おもて)といいます。時代劇にでてくる「面(おもて)をあげよ」の面(おもて)、表裏のおもてです。その場合の裏は心です。

 

「心さびしい」(うらさびしい)「心悲しい」(うらがなしい)というように、「心」を「うら」と読みます。古語辞典によれば「その心(うら)なる感情が外にあらわれるところを面(おも)という」とあります。

 

人生は顔に出ます、といいましたが厳密にいえば心が顔に、人相にあらわれるのです。
同じような環境ですごしたとしても心の持ち方で幸不幸の感じ方は違ってくるのでしょう。

 

その後も何度もお会いしましたがお会いするたびに満面の笑みに和み、しあわせな気分を味わわせてくださいました。そして83歳の女性の美しいお顔を拝見しながらある禅語をかみしめました。

君診双眼色、不語似無憂
君みよ双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり

 

故事成語・古語は下記の2冊から引用致しました。
◎漢文名言辞典 大修館書店
鎌田正・米山寅太郎
◎字訓 平凡社
白川静

長生きしますかね。

ずいぶん前の話です。84歳の女性から「私、長生きできますかね?」と尋ねられた時、私は30歳になったばかりでした。

 

30歳の私には84歳はすでに長寿だと思えました。もちろん「すでに長生きされているではありませんか」とは口にしませんでした。

 

「私、ぼけませんか、長生きよりもボケるのが心配で」とはじけるような笑顔でおっしゃった沖縄のおばあは91歳でした。

 

おばあの知能線は手のひらを完全に横切るほどに長く、日々、お稽古事や何かの勉強会があれば積極的に参加されるなど好奇心旺盛で脳の血流はよどみなく流れているように思いました。


その後も80代90代の方から何度かそのような問いをうけましたが、当時の私は、その心理を本当の意味で理解することはできませんでした。

 

60代になった今、その頃よりもわかるような気はします。しかし、まだ、わかる、とはいいきれません。

 

やはり自分自身が80代になってみなければわからないのかもしれません。80代になるまで20年をきりました。

初心忘るべからず

オープンして5年がたった飲食店の若きオーナーが、「最近、ときどきだれている自分に気づくことがあるんです。」とつぶやくように言いました。


オープン以来、毎月オーナーと会っていますが、スタッフにも恵まれ、経営も順調で、客観的にみても幸運すぎる5年といえるでしょう。

 

全力で突き進んできた5年です。いくら若くても疲労の蓄積から集中力がゆるんでも不思議ではありません。

 

「初心忘るべからず、ですよね。」と自分に言い聞かせるようにいう彼女に「そうだね。だけど初心にはもう戻れないよ」と言いました。

 

「初心を忘れてはいけない、はじめの志は忘れてはいけない、だけど5年前にお店が開店したときの心には戻ることはできないと思う」と。

 

慣れてくることによって、あるいは順調すぎて緊張感に欠ける振る舞いをすることは危険です。それは戒めなければなりません。

 

はじめの志、純粋な気持ちに立ち返るのは大切だと思います。しかし、完全に初心と同じ心になることは不可能です。

 

時の経過と経験は人を変えるからです。見える世界が初心の頃とは違ってくるのです。

初心は大切ですが初心に戻る必要はないと若きオーナーをみて思いました。

彼女はあきらかに成長しています。顔つきもかわりました。5年前よりいい顔をしています。いい人相になっているのです。

 

経営者としての5年の経験は極上の栄養分になり最初に鑑定したときより現在のほうがはるかにいい状態なのです。彼女には5年前に戻ってほしくはありません。

 

初心の志も大切ですが経験を積み重ねていくことで志も成長していく場合があるのです。


「初心忘るべからず」は世阿弥の「花鏡(かきょう)」に記されている

しかれば、当流に、万能一徳の一句あり 初心不可忘(しょしんわするべからず)

 

からきていると言われています。ただ花鏡にはつづく言葉があります。


しかれば、当流に、万能一徳の一句あり  初心不可忘

 

この句、三箇条の口伝あり
 是非初心不可忘
 ぜひのしょしんわするべからず
 時々初心不可忘
 じじのしょしんわするべからず
 老後初心不可忘
 ろうごのしょしんわするべからず


詳しい解釈は能の専門家におゆだねするしかありませんが、世阿弥がといた「初心忘るべからず」の初心とは、はじめの志だけを言っているのではなさそうです。

 

若きオーナーには五周年をむかえた今、あらたな初心、あらたな志をたてることをおすすめしました。

旧暦と六曜

降る雪や明治は遠くなりにけり
 
これは中村草田男が昭和6年(1931年)に作った句です。

 

明治時代は1912年までなので、この句は明治が終わって19年たった頃の作です。

 

およそ30年の平成の世を経て令和の世になった今、昭和は遥か遠く、150年も前の明治維新ともなると、もはや古(いにしえ)と呼ぶほどに遠い時代なのかもしれません。

 

その明治の初め頃にグレゴリオ暦に改暦されたのですから旧暦が忘れ去られているのも致し方ないのでしょう。

 

その旧暦に今でも連動しているのが大安・仏滅などの六曜なのを御存知でしょうか。六曜とは、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六つの星、六曜星のことです。

 

気にしない人にとってはどうでもいい話ですが、しかし今もなお大安や仏滅などの六曜は私たちの生活に多大なる影響を与えています。

 

まず思い浮かぶのは結婚式の日取りです。統計をみても大安の日に式をあげる方が多いことがわかります。仏滅の日には割引をする結婚式場もあるようですので大安や仏滅は現代においても意識されていることがうかがえます。

 

引っ越しは大安吉日にという方もいらっしゃるのではないでしょうか。葬儀については友引を避けることが私の地域では常識で友引の日を休館日としている斎場がほとんどです。

 

明治になり迷信として六曜を廃止する動きがありました。しかし人々の心から六曜を取り除くことはできなかったのでしょう。六曜は今も確実に根づいています。

 

その六曜は旧暦と連動しているのです。六曜は必ず、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の順で繰り返されます。この順番が変わることは基本的にありません。

 

ところがたまに変わることがあるのです。

 

今年の暦をみると
1月20日が先勝、その後は順番通り21日(友引)・22日(先負)・23日(仏滅)・24日(大安)と続きます。

 

そうすると25日は赤口になるはずです。しかし暦をみると2020年1月25日は先勝になっています。順番からいくと赤口なのにひとつとばして先勝になっているのです。

 

その理由は旧暦にあります。六曜は旧暦に連動しています。まず六曜の最初にくる先勝は一年のどこからはじまるのかということです。

 

それは旧暦の正月からはじまるのです。旧暦の1月1日が必ず先勝になります。今年の旧正月は1月25ですから順番でいけば赤口になるところが先勝になったのです。そのあとは友引・先負~と順番通り繰り返します。

 

その順番が次に変わるのが今年の2月24日。前日の23日が赤口ですので24日は先勝になるはずが友引になっています。

 

その理由は2月24日は旧暦の2月1日だからです。旧暦の2月1日は必ず友引になるのです。

 

その後も各月の旧暦の1日(朔日)ごとに六曜の星が決まっていてその星を先頭にして本来の順番をくりかえしていきます。

 

旧暦
1月1日  先勝
2月1日  友引
3月1日  先負
4月1日  仏滅
5月1日  大安
6月1日  赤口
7月1日  先勝
8月1日  友引
9月1日  先負
10月1日 仏滅
11月1日 大安
12月1日 赤口

旧暦

38年ほど前に隣国の女性を鑑定したときのことです。

 

お名前と生年月日を書き留めて鑑定をはじめようとすると「すいません、その生年月日、日本だと違うかもしれません」と。

 

「どういうことですか?」と尋ねると「あの、私の誕生日は日本だと毎年変わるんです。ですからその生年月日は違うかもしれないんです」

 

20代の私は隣国の方の誕生日が日本でいうところの旧暦なのを知らなかったのです。

 

グレゴリオ暦を採用している日本の暦(カレンダー)を基準にすると旧暦の正月が毎年違うように旧暦の誕生日も毎年変わります。今の若い方がどうされているのかは知りませんが、その頃鑑定した隣国の方の誕生日はみなさん旧暦でした。

 

誕生日の説明を聞いて萬年暦で対応できたことは幸いでしたが「この生年月日は旧暦なのですか」とは口にしませんでした。彼女の誕生日に対して旧暦という言葉を使うのは失礼にあたると思ったからです。

 

もちろん年が明ければ、旧年中は、と挨拶し、旅館などで新館ができれば、もとからある館を旧館と呼び、姓が変われば元の姓を旧姓というように改暦されれば元の暦を旧暦と呼ぶにすぎません。

 

私の世代では「旧帝大出身」は誇らしげに語られる言葉でしたし、「旧知の仲」「旧交をあたためる」「旧友」は懐かしさを感じる言葉です。

 

「大漢語林・大修館書店」で「旧」の字義を調べると「ふるい、ふるいもの、ふるくさい、昔の、過去の、もと」などの言葉が並びます。かといって「旧暦」をふるいものあつかいしているわけではありません。

 

しかし日本では旧暦は確実に過去のものになっているのでしょう。このブログでも書きましたが旧暦の正月(旧正月)を認識している方はそれほど多くないと思います。

 

グレゴリオ暦を採用している日本では太陰太陽暦の正月を旧正月といいますが中国・韓国・シンガポール・マレーシア・などアジアの各国は太陰太陽暦の正月が正式の正月です。だからこそ太陰太陽暦のお正月が祝日でその前後が年末年始の連休になっているのです。

 

韓国で開かれた平昌オリンピックで羽生結弦選手が復活した2月16日が今年の太陰太陽暦の正月でした。韓国では前日の2月15日から正月の連休に入り2月16日は韓国国内の帰省とオリンピックの観客が重なって交通機関も大変だったようです。

 

太陰太陽暦の正月を祝っているアジアの方々に「旧正月」というと不思議に思われるでしょう。アジアの人々にとって旧暦の正月こそが正月でけして過去の旧(ふる)いものではないからです。

十干と恵方

庚申様(こうしんさま)のことでひとつ書き忘れていたことがありました。歌舞伎の演目で「三人吉三巴白波(さんにんきちさともえのしらなみ)」というものがあります。

「こいつぁ春から縁起がいいわえ」の名台詞で知られる歌舞伎です。

お嬢吉三の七語調の名台詞

月も朧(おぼろ)に白魚の
篝(かがり)も霞む春の空
冷てえ風もほろ酔いに
心持よくうかうかと
浮かれ烏(からす)のただ一羽
ねぐらへ帰る川端で
竿の雫(しずく)か濡れ手で粟
思いがけなく手に入(い)る百両
(呼び声)
おん厄払いましょう 厄おとし
ほんに今夜は節分か
西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落とし
豆だくさんに一文の
銭と違って金包み
こいつぁ春から縁起がいいわえ

「ほんに今夜は節分か」「厄落とし」と恵方にもからんでいますが、この名台詞の場面を「大川端庚申塚の場」といいます。

現代ではあまり意識されていない干支(えと)の干(え)、十干(じっかん)に注目していただきたいと思いずいぶんと横道にそれてしまいました。

歳徳神(としとくじん)の在泊する方位、すなわち恵方の方角はその年の十干が何であるかによって決まるという話でした。

甲(きのえ) の年 東北東
乙(きのと) の年 西南西
丙(ひのえ) の年 南南東
丁(ひのと) の年 北北西
戊(つちのえ)の年 南南東
己(つちのと)の年 東北東
庚(かのえ) の年 西南西
辛(かのと) の年 南南東
壬(みずのえ)の年 北北西
癸(みずのと)の年 南南東

 

今年の干支は戊戌(つちのえいぬ)。十干は「戊(つちのえ)」ですから恵方は南南東になります。来年の干支は己亥(つちのとい)。来年の十干は己(つちのと)ですから恵方は東北東ということになります。
※細かくいえば「南南東やや南「西南西やや西」とかになりますが私は「恵方詣で」「恵方参り」にいく神社仏閣は「だいたい南南東」くらいで選んでいます。恵方巻丸かぶり寿司)も「だいたいこのあたり」と部屋の置物などを指して家族で食べています。

※干支(えと)は干支(かんし)ともいいます。「干」が「かん」、「支」が「し」です。干は10、子は12ありますので「十干十二支(じっかんじゅうにし)」といいます。
◎十干(じっかん)は十干(じゅっかん)と読む場合もあります。



十干と十二支の組み合わせが干支なのですが、10と12の最小公倍数によって干支は「六十干支」あります。
読み方は字義から「丁酉(ひのととり)」と読みますが歴史的な出来事のように音読みで「丁酉(ていゆう)」ともいいます。

六十干支の読み
甲子(きのえね・かっし)  
乙丑(きのとうし・いつちゅう)
丙寅(ひのえとら・へいいん)
丁卯(ひのとう・ていぼう)
戊辰(つちのえたつ・ぼしん)  
己巳(つちのとみ・きし)
庚午(かのえうま・こうご)  
辛未(かのとひつじ・しんび)
壬申(みずのえさる・じんしん)
癸酉(みずのととり・きゆう)
甲戌(きのえいぬ・こうじゅつ)
乙亥(きのとい・いつがい)
丙子(ひのえね・へいし)  
丁丑(ひのとうし・ていちゅう)
戊寅(つちのえとら・ぼいん)  
己卯(つちのとう・きぼう
庚辰(かのえたつ・こうしん) 
辛巳(かのとみ・しんし)
壬午(みずのえうま・じんご)  
癸未(みずのとひつじ・きび)
甲申(きのえさる・こうしん)       
乙酉(きのととり・いつゆう)
丙戌(ひのえいぬ・へいじゅつ)       
丁亥(ひのとい・ていがい)
戊子(つちのえね・ぼし)       
己丑(つちのとうし・きちゅう)
庚寅(かのえとら・こういん)       
辛卯(かのとう・しんぼう)
壬辰(みずのえたつ・じんしん)       
癸巳(みずのとみ・きし)
甲午(きのえうま・こうご)       
乙未(きのとひつじ・いつび)
丙申(ひのえさる・へいしん)       
丁酉(ひのととり・ていゆう)
戊戌(つちのえいぬ・ぼじゅつ)       
己亥(つちのとい・きがい)
庚子(かのえね・こうし)       
辛丑(かのとうし・しんちゅう)
壬寅(みずのえとら・じんいん)       
癸卯(みずのとう・きぼう)
甲辰(きのえたつ・こうしん)       
乙巳(きのとみ・いつし)
丙午(ひのえうま・へいご)       
丁未(ひのとひつじ・ていび)
戊申(つちのえさる・ぼしん)       
己酉(つちのととり・きゆう)
庚戌(かのえいぬ・こうじゅつ)       
辛亥(かのとい・しんがい)
壬子(みずのえね・じんし)       
癸丑(みずのとうし・きちゅう)
甲寅(きのえとら・こういん)       
乙卯(きのとう・いつぼう)
丙辰(ひのえたつ・へいしん)       
丁巳(ひのとみ・ていし)
戊午(つちのえうま・ぼご)       
己未(つちのとひつじ・きび)
庚申(かのえさる・こうしん)       
辛酉(かのととり・しんゆう)
壬戌(みずのえいぬ・じんじゅつ)       
癸亥(みずのとい・きがい)