クリスマス

呼吸(いき)すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。

石川啄木の歌集“悲しき玩具”の冒頭の二首は谷村新司さんの代表曲のひとつでもある“昴”に影響を与えた歌としても知られています。


20代の頃、自分の進む道が実業とは縁のない世界であることを悩んだ時期がありました。そんな時に福島・仙台に行く用事ができたのです。12月23日が福島、24日が仙台でした。

 

仙台駅では山口百恵さんの“いい日旅立ち”とさとう宗幸さんの“青葉城恋歌”のふたつの曲がずっと流れていた記憶があります。


仙台での用事が思いのほか早く終わりどうしようかと思案したあげく盛岡行の特急列車に乗ることにしました。“渋民”に行ってみたいと思ったからです。

 

渋民は石川啄木の故郷です。10代の頃、中原中也萩原朔太郎立原道造室生犀星リルケなどの詩集を手にしていましたがひときわ啄木に惹かれたのです。



新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど

この歌は18の頃、ノートに繰り返し書いていました。
20歳を過ぎ、啄木から遠ざかっていたのですが、仙台駅でふと渋民に行ってみようと思ったのです。

 

夕刻、盛岡駅に着いたときにはあたりはすでに暗くなっていました。宿をとり駅近くの食堂で食べたのは豚丼だったと思います。

 

当時、盛岡に豚丼があったのかわかりませんが、初めて食べた味でした。豚丼だったと思うのは後に帯広で豚丼を食べた時に盛岡で食べた丼を思い出したからです。

 

街を流れる北上川の情緒や仙台とは違う趣の駅舎にみちのくの旅情を感じ、淋しくはありましたがひとりで静かなイブの夜を過ごしました。


翌クリスマスの朝早く盛岡駅で渋民行の切符を手にした時、胸が高鳴っている自分に驚いたことを覚えています。

 

わがために
なやめる魂(たま)をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな
                      一握の砂 石川啄