人間万事塞翁が馬
◎人間万事塞翁が馬
にんげんばんじさいおうがうま
人間の幸・不幸は国境のとりで近くに住む老人の飼っていた馬のようなものである。人間の幸・不幸は定めがたいたとえ。
「禍福は糾える縄の如し かふくはあざなえるなわのごとし」を具現する寓話になっている「人間万事塞翁が馬」はよく知られている故事成語です。御存知の方も多いと思いますが漢文名言辞典の解説文を紹介します。
国境の塞(とりで)近くに、うらないの巧みな老人が住んでいた。
飼っていた馬が胡(こ)の国に逃げてしまったので、近所の人が見舞うと、老人は「これは幸福の基(もとい)になるだろう」と言う。
その言葉通り、数か月後にその馬が胡の駿馬を連れて帰って来た。近所の人が祝うと、老人は「これは不幸の基になるはずだ」と言う。
老人の家では、多くの良い馬に恵まれたが、その子が駿馬を好み、馬から落ちて足を折ってしまった。近所の人が見舞うと、老人は「これは幸福の基になるだろう」と言う。
さて一年後、胡が大挙して塞(とりで)に攻め込んで来た。若者たちは弓矢で防戦したが、十人中の九人が死ぬという激戦であった。しかしこの子は足が不自由だったために戦わずにすみ、親子ともども無事であった、
という『淮南子(えなんじ)』の寓話(ぐうわ)に基づく。
「人生、何がいいのかわからない」30代の頃にときおり口にしていた言葉です。
「人間万事塞翁が馬」ほどの展開はなくても目の前に起きている出来事が「禍い(わざわい)」なのか「福」なのか、にわかには判別できないことがあります。
「第一志望の大学、あるいは会社に進んでいたら今の自分はなかった。あの時は挫折感しかなかったけれど、ふりかえってみれば第一志望の大学・会社にいけなかったことが幸いした」といった類の話は鑑定の場でもたびたび耳にします。
基本的には希望が叶う、願いが成就すれば幸せです。しかしのぞみが叶わず落ち込んでいたのに、時を経てみれば、願いが成就できなかったことが、かえっていい結果につながる、そのようなことが人生にはあるものです。
禍いと福いは隣をなす
わざわいとさいわいはとなりをなす
荀子
禍いの中に福あり
わざわいのなかにふくあり
淮南子
禍いを転じて福いと為なさん
わざわいをてんじてさいわいとなさん
十八史略
※故事成語の読み・解説は下記の2冊から引用致しました。
◎漢文名言辞典 大修館書店
鎌田正・米山寅太郎著
◎中国古典名言事典 講談社
諸橋轍次著