初心忘るべからず

オープンして5年がたった飲食店の若きオーナーが、「最近、ときどきだれている自分に気づくことがあるんです。」とつぶやくように言いました。


オープン以来、毎月オーナーと会っていますが、スタッフにも恵まれ、経営も順調で、客観的にみても幸運すぎる5年といえるでしょう。

 

全力で突き進んできた5年です。いくら若くても疲労の蓄積から集中力がゆるんでも不思議ではありません。

 

「初心忘るべからず、ですよね。」と自分に言い聞かせるようにいう彼女に「そうだね。だけど初心にはもう戻れないよ」と言いました。

 

「初心を忘れてはいけない、はじめの志は忘れてはいけない、だけど5年前にお店が開店したときの心には戻ることはできないと思う」と。

 

慣れてくることによって、あるいは順調すぎて緊張感に欠ける振る舞いをすることは危険です。それは戒めなければなりません。

 

はじめの志、純粋な気持ちに立ち返るのは大切だと思います。しかし、完全に初心と同じ心になることは不可能です。

 

時の経過と経験は人を変えるからです。見える世界が初心の頃とは違ってくるのです。

初心は大切ですが初心に戻る必要はないと若きオーナーをみて思いました。

彼女はあきらかに成長しています。顔つきもかわりました。5年前よりいい顔をしています。いい人相になっているのです。

 

経営者としての5年の経験は極上の栄養分になり最初に鑑定したときより現在のほうがはるかにいい状態なのです。彼女には5年前に戻ってほしくはありません。

 

初心の志も大切ですが経験を積み重ねていくことで志も成長していく場合があるのです。


「初心忘るべからず」は世阿弥の「花鏡(かきょう)」に記されている

しかれば、当流に、万能一徳の一句あり 初心不可忘(しょしんわするべからず)

 

からきていると言われています。ただ花鏡にはつづく言葉があります。


しかれば、当流に、万能一徳の一句あり  初心不可忘

 

この句、三箇条の口伝あり
 是非初心不可忘
 ぜひのしょしんわするべからず
 時々初心不可忘
 じじのしょしんわするべからず
 老後初心不可忘
 ろうごのしょしんわするべからず


詳しい解釈は能の専門家におゆだねするしかありませんが、世阿弥がといた「初心忘るべからず」の初心とは、はじめの志だけを言っているのではなさそうです。

 

若きオーナーには五周年をむかえた今、あらたな初心、あらたな志をたてることをおすすめしました。