梅の華

我が家の玄関をでて北の方角に90メートルばかり歩くと竹林があり、その竹林の手前に誰が植えたか一本の梅の木がすっくと立っています。

 

観賞用ではない梅は弐階建ての家の屋根に比肩するほどの高さがある大きな木です。その梅が旧暦のお正月に白い花を咲かせました。

 

梅は早春をひらくといいますが、毎年この梅の木が白い花を一輪一輪と咲かせると寒い中にも春の訪れを実感するのです。「梅は百花の魁(さきがけ)」というのも頷けます。

 

梅のひらくにつられて春も早くやってくる

道元禅師の言葉。春が来たから梅の花が咲くのではなく、梅の花が咲くから春が訪れてくるというのでしょうか。

 

雪中に一枝の梅華がかおる
いまはいずこも茨ばかりだが
やがては春風が繚乱として吹こう
道元

 

道元禅師が著した「正法眼蔵」には「梅華」の巻があり、道元が日本にもたらした曹洞宗の御詠歌を梅花流といいます。

 

春の功徳はすべて梅のなかにつまっている

これも道元禅師の言葉。禅師と梅は何か深淵なる結びつきがおありなのだろうと思います。

 

その深淵なる世界はわかりませんが道元が開いた永平寺は福井の雪深い山中にあります。

 

私が訪れたのは晩秋でしたがすでに寒く、ここでの冬の修業の厳しさはいかばかりか、凍てつくほどに香りがます梅と永平寺の若き修行僧が重なってみえるような気がしました。

 

雪に耐えて梅花麗し

西郷隆盛が明治5年に作った詩の一節です。

 

先人たちにとって梅は特別な存在なのか禅語に漢詩に和歌に数多く登場します。

 

梅百雪に耐えて清し

 

梅花雪に和し香ばし

 

梅花百福兆 
ばいかひゃくふくにきざす

 

梅花開五福
ばいかごふくをひらく

 

東風ふかば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春を忘るな

 

難波津(なにはづ)に
咲くやこの花冬ごもり
今は春べと咲くやこの花

梅が春の訪れを告げ、やがて桜前線が日本列島を北上し春爛漫のときを迎えます。

梅は咲いたか 桜はまだかいな