(続)クリスマス

クリスマスの朝の渋民は積雪はあるものの天気はよく、歩いて啄木ゆかりの地を散策しました。眼前には美しい岩手山がありました。北上川もあります。



かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川



今、この歌の風景を見ているのだなと確かめながら啄木の記念館などをめぐり北上川沿いに建つ歌碑に行きました。大きな歌碑でしたがそこに刻まれていた歌は“一握の砂”の中であまり目にとめていないものでした。



やわらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに



背景には岩手山があります。“柳あをめる”季節ではありませんでしたが啄木は東京でこの景色を思い浮かべて歌ったのかと、感じ入ってしまいました、次の二首を心にとめ


石をもて追わるるごとく
ふるさとを出(い)でしかなしみ
消ゆる時なし



ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく



イブの夜に盛岡の街に入り、クリスマスの朝に啄木のふるさとを歩いた、雪景色の中で多感な10代をふりかえることができました。

 

帰りの特急列車で駆け抜けていく車窓の景色を眺めながら



糸きれし紙鳶(たこ)のごとくに
若き日の心かろくも
とびさりしかな



この歌をかみしめました。

そして、たとえ実業でなくてもこの道を進もうと思ったのでした。40年ほど前のクリスマスの思い出です。

 

クリスマス

呼吸(いき)すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。

石川啄木の歌集“悲しき玩具”の冒頭の二首は谷村新司さんの代表曲のひとつでもある“昴”に影響を与えた歌としても知られています。


20代の頃、自分の進む道が実業とは縁のない世界であることを悩んだ時期がありました。そんな時に福島・仙台に行く用事ができたのです。12月23日が福島、24日が仙台でした。

 

仙台駅では山口百恵さんの“いい日旅立ち”とさとう宗幸さんの“青葉城恋歌”のふたつの曲がずっと流れていた記憶があります。


仙台での用事が思いのほか早く終わりどうしようかと思案したあげく盛岡行の特急列車に乗ることにしました。“渋民”に行ってみたいと思ったからです。

 

渋民は石川啄木の故郷です。10代の頃、中原中也萩原朔太郎立原道造室生犀星リルケなどの詩集を手にしていましたがひときわ啄木に惹かれたのです。



新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど

この歌は18の頃、ノートに繰り返し書いていました。
20歳を過ぎ、啄木から遠ざかっていたのですが、仙台駅でふと渋民に行ってみようと思ったのです。

 

夕刻、盛岡駅に着いたときにはあたりはすでに暗くなっていました。宿をとり駅近くの食堂で食べたのは豚丼だったと思います。

 

当時、盛岡に豚丼があったのかわかりませんが、初めて食べた味でした。豚丼だったと思うのは後に帯広で豚丼を食べた時に盛岡で食べた丼を思い出したからです。

 

街を流れる北上川の情緒や仙台とは違う趣の駅舎にみちのくの旅情を感じ、淋しくはありましたがひとりで静かなイブの夜を過ごしました。


翌クリスマスの朝早く盛岡駅で渋民行の切符を手にした時、胸が高鳴っている自分に驚いたことを覚えています。

 

わがために
なやめる魂(たま)をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな
                      一握の砂 石川啄

社名の由来 ドトールコーヒー②

ドトールコーヒーの創業者が会社をやめてブラジルに渡り、希望と不安が交錯する中で、コーヒー園で働き、コーヒーのことを学びながら創業への第一歩を踏み出した原点の場所が、そのアパートなのでしょう。

 

しかし、修行したコーヒー園の地名でもよかったでしょうに、なにゆえアパートの住所が社名になったのでしょう。

 

コーヒー園で働きながら豆のことや焙煎のことなどを学ぶ日々を過ごしながら、勝手な想像ですが、アパートの一室でさまざまな思いが去来したと思うのです。

 

ある時は、将来の展望を描きながら気分が高揚したり、ある時は、本当にやれるのかという鉛をかかえたような重っ苦しい不安にさいなまされたり。とにかく、そのアパートの一室からすべては始まった。

 

菜根譚(さいこんたん)に次のような言葉があります。

青天白日の節義は、暗室屋漏の中より培いきたる
(せいてんはくじつのせつぎは あんしつおくろうのなかより つちかいきたる)

 

※白日 明るく輝く太陽、やましいところのないたとえ
※屋漏 家の北西の隅。家の一番奥まった所、転じて人に見られな
い所

 

青天白日のような堂々とした節義も、実際には人目につかないくらい奥深い部屋の中から養われて出てくる。人間の大節は人知れぬ平素の修養から生まれてくる。
中国古典名言事典(講談社

 

菜根譚」が言うところの「暗室屋漏(あんしつおくろう」が「ドトール・ピント・フェライス通り85番地」のアパートだったのだと思います。そのアパートがドトールコーヒーの原点ということなのでしょう。

 

世阿弥能楽の修行について語った

しかれば、当流に万能一徳の一句あり 初心不可忘
にもとずく

 

初心忘るべからず

という言葉があります。

 

「はじめの志を忘れてはならない」
という戒めでしょう。ドトールコーヒーという社名にはブラジルのアパートの一室で立てた志を忘れない、「初心忘るべからず」の思いもこめられているのかもしれません。


喫茶業が世の中に存在する意義は何か


一杯のコーヒーを通じてやすらぎと活力を提供することこそが、喫茶業の使命にほかならない


ドトールコーヒー 創業者の信念

社名の由来 ドトールコーヒー①

前回、スターバックスコーヒーの社名の由来について書きました。今回はドトールコーヒーの社名の由来について。

 

「ここ、安くて美味しいんだよ」と友人から誘われて初めてドトールコーヒーに行ったのは原宿店でした。

 

その後、渋谷1丁目店にひとりで行くようになりました。渋谷神南1丁目店は店内が広く打ち合わせに何度も利用したことがあります。

 

埼玉に行ったときに入った、さいたま新都心店も店内が広く、朝の早い時間だったこともあり、ゆったりとしていました。

 

個人的にはマスターがいてドアを開けるとカランとなるような昔ながらの喫茶店が好きなのですが、チェーン店におされて、そのようなお店は街から消えていきました。

 

ドトールコーヒー渋谷1丁目店近くにある「茶亭羽當(はとう)」はお洒落で、かつノスタルジーな気持ちを喚起させてくれる好きな喫茶店でした。夏になるとオ・レ・グラッセを注文していたことを思い出します。

 

居所を田舎に移し最後にいったのが10年前ですから今はどのようになっているのでしょう、もの静かな二人のマスターは今もカウンターに立っていらっしゃるのでしょうか。

 

ドトールコーヒーの話に戻ります。今、住んでいる田舎町にもドトールコーヒーはあります。書店に併設されていますのでときどき利用しています。

 

そのドトールコーヒードトール(DOUTOR)は、ポルトガル語で「博士」という意味なのだそうです。

 

会社を退職し、コーヒーの勉強をするためにブラジルに渡ったドトールコーヒーの創業者が借りたアパートの住所に「ドトール(DOUTOR)」の名前が入っていた、その住所名を社名にしたらしいのです。

 

正式な住所は「ドトール・ピント・フェライス通り85番地」。「ピント・フェライス」という方は医学博士なのだそうです。

 

通りの名前になるくらいですからブラジルの医療に貢献された方なのだろうと思います。

 

地名が社名にもちいられることはあります。

 

いすゞ自動車」の「いすゞ」は伊勢神宮ゆかりの清流「五十鈴川」に由来しているといわれています。シュウマイで有名な「崎陽軒」の「崎陽」は創業者の出身地である長崎の地名が由来です。

 

ドトールコーヒーの創業者はどうしてブラジルで住んだアパートの住所を社名にしたのでしょう。理由は御本人にお尋ねしなければわかりません。ただ想像はできます。

 

これまで脱サラして独立された方を多く見てきました。独立を決断して退職し、具体的な一歩踏み出す時、人は希望と不安・恐怖が入り混じった尋常ならざる精神状態になることがあります。

 

お店のオープンの日に果たして来客があるのだろうかという不安も大変なものです。最初のお客さまの顔と買っていただいた商品を忘れられない経営者がいます。お釣りを渡す手が震えた経営者がいます。廊下に響く靴音の主が自分の事務所の戸をあけてくれ、と祈った弁護士がいます。


ドトールコーヒーの創業者が会社をやめてブラジルに渡り、希望と不安が交錯する中で、コーヒー園で働き、コーヒーのことを学びながら創業への第一歩を踏み出した原点の場所が、そのアパートなのでしょう。

 

しかし、修行したコーヒー園の地名でもよかったでしょうに、なにゆえアパートの住所が社名になったのでしょう。

社名の由来 スターバックス

小学生のときだったか中学生のときだったか、ヘミングウエイの「老人と海」とハーマン・メルヴィルの「白鯨」を読み、まだ見ぬ大海に思いを馳せた記憶があります。山里に生まれ育った私は子供の頃、海とは無縁の生活をしていました。

 

大人になりハワイ島トローリングに初めてチャレンジしたときや、アメリカでシャークを90分のファイトで釣り上げたときに小説の世界をほんの少しだけ味わえたような気分になったことは懐かしい思い出です。


スターバックス コーヒー(STARBUCKS COFFEE)」を立ち上げた3人の若者たちはハーマン・メルヴィルの「白鯨」が好きだったようです。

 

「白鯨」に登場する捕鯨船ピークォド(Pequod)号の一等航海士「スターバック」が名前の由来です。

 

最初、ひとりが「ピークォド」を提案しましたが、他のふたりに却下され、結果、「STARBUCKS COFFEE」になったようです。


スターバックスは1971年にシアトルの「パイク・プレイス・マーケット」という海沿いの市場で産声をあげました。ロゴにもなっている海の妖精「セイレン」は「白鯨」とは関係ありません。共通するのは海です。


私が初めてスターバックスコーヒーを知ったのは1990年代の半ば頃でした。仕事でロサンゼルスに行ったとき空港に迎えに来てくれた知人が、「コーヒーを飲むならここがいいよ」と案内してくれたのがスターバックスコーヒーだったのです。

 

在ロサンゼルス12年の知人は、ユニバーサルスタジオの達人でもありました。オフの日にユニバーサルスタジオに行くと、彼からメインのアトラクションを楽しむ効率的な回り方を伝授されました。

 

当時は、バックドラフト、ET,ジョーズ、ウオーターワールドなどが人気でしたが、すべてスムーズに回ることができました。

 

別のオフの日にはサンタモニカ、郊外にあるSushiレストランなどを案内してくれて二週間の滞在中大変お世話になりました。そして帰国する日、ロサンゼルス空港のスターバックスで一緒にコーヒーを飲みました。


その翌年にスターバックスは日本に上陸しました。その後、あっという間に全国各地に広がり現在に至っています。

 

ところでピークォド号の一等航海士スターバックはコーヒーが好きだったのでしょうか。小説の中でスターバックがコーヒーを飲んでいる描写があったのか、記憶は曖昧です。

 

社名の由来②

資生堂」の由来は四書五経のひとつである易経にあります。易経の「至哉坤元 万物資生」(いたれるかなこんげん ばんぶつとりてしょうず)の資生から「資生堂」です。

 

易経の意味は「大地の徳はなんと素晴らしいものか。すべてのものはここから生まれる」といった感じでしょうか。

 

坤が大地。乾坤一擲(けんこんいってき)の坤、八卦の乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の坤です。

 

乾(けん)の象意は天、坤(こん)の象意は地。薬局からはじまった会社らしい社名なのかもしれません。

 


杏林製薬」の社名は、古書「神仙伝」の故事に由来します。


杏林(きょうりん)
杏(あんず)の木の林。転じて、医者。医院。また、無償の診療のたとえ。
三国時代、名医として名高かった呉の董奉(とうほう)は、治療代を受け取らず、そのかわりに、重病の者には五本、軽い病気の者には一本の杏の木を植えさせた。

かくして数年後に十万余株の広大な杏の林が出来あがってからは、杏子(あんず)の実を器一杯の穀物とひきかえに持たせてやった。こうして蓄財し、それをもって貧窮者を救済し、奉自身も、三百余歳の寿を保ったという伝承に基づく
漢文名言辞典(大修館書店)

 


四書五経故事成語に由来する命名は、慶応・明治・大正・昭和・平成などの元号を含め、命名法の大きな柱のひとつです。

 

すでに紹介しましたが、易経の「至哉坤元 万物資生」(いたれるかなこんげん ばんぶつとりてしょうず)の資生から「資生堂」が命名され、

 

論語の学而篇の「吾日三省吾身」(われ日にわが身を三省す)から「三省堂」、

 

中国の兵法書六韜(りくとう)」の永久に変わらないことを意味する「萬代不易(ばんだいふえき)」から「バンダイ」。


孫子」の「勝者の民を戦わしむるや、積水を千仭(せんじん)の谷に決するがごとくなるは形なり」から「積水ハウス」、

 

有田焼の「香蘭社」は易経の「君子の交わりは、蘭の宝の香りの如し」から。


社名ではありませんが、「夏目漱石」の「漱石」は、晋の詩人・孫礎の「まさに石に枕し流れに漱(くちすす)がんと欲す」にまつわる話から。

 

人気俳優で「桃李」という名前の方がいらっしゃいます。この名前はおそらく「史記」からきているのだと思います。


桃李不言 下自成蹊
桃李もの言わざれども、下おのずから蹊(けい)を成す
桃やすももは何も言わないけれど、美しい華や実があるからおおくの人が集まって来て、その木の下には自然に小道ができる。徳のある人はだまっていても自然に人々が帰服するたとえ。
漢文名言辞典(大修館書店)


香港のホテル日航の中華レストランの名前も「桃李」だったと記憶しています。

 

また、この故事の「おのずから蹊(けい)を成す」は「成蹊大学」の名前の由来にもなっています。

社名の由来

一昨日、20代の営業マンが訪ねてきました。用向きは社名について聞きたいということでした。彼が勤務する会社の社名を命名させていただいたのは25年前のことです。

 

彼の担当エリアに私の自宅があり、私が社名の名づけ親だと社長から聞いて興味をもったそうなのです。以前から自分が勤務する会社の社名の由来を詳しく知りたいと思っていたということでした。

 

まず、創業年数とほぼ同じ年齢の営業マンに25年前に創業した社長の思いをお話しました。大河の一滴といいますように、すべての会社に創業の一歩目があります。その創業の物語を知ることは大事だと思います。

 

それから漢字を用いた社名の由来、意味について詳しく説明をしました。説明を真剣に聞いている彼の心にいくばくかの高揚感が生じているのが伝わってきてついつい熱が入ってしまいました。


社名を適当につけることはありません。社名には創業者の思いが込められているのです。

 

たとえば「モスバーガー」。
MOS」は「Mountain(山)」「Ocean(海)」「Sun(太陽)」の頭文字です。

「山のように気高く堂々と」「海のように深く広い心で」「太陽のように燃え尽きることのない情熱をもって」がモスバーガーの創業の理念なのでしょう。その思いが社名に込められているのです。

 

「ワコール(Wacoal」は創業時の名前は「和江商事」。創業者の出身地は滋賀県です。

滋賀県はかつて近江という国名でした。近江はまた江州ともいわれていたのです。「江州に和す」が社名の由来だそうです。「和江の名を永遠に留める」から「和江留(ワコール)」。


オムロン」は京都の仁和寺ゆかりの「御室(おむろ)」に由来する社名です。

 

今の時代からは想像ができないほどに貧弱な食生活をしていた日本人に「カルシウム」と「ビタミンB1」を補うお菓子を提供しようと立ち上がったのが「カルビー」。

 

「キャノン(Canon)」が観音様の「観音(かんのん)」に由来する名前であることはよく知られた話です。創業者が熱心な観音様信仰をもっていたからでした。