甲子革令

「甲子革令(かっしかくれい)」という言葉があります。革令とは制度が改まるという意味です。

 

甲子(きのえね)という干支には制度を改める力、流れを変える力があると考えられていたのです。甲子の年に元号を改めるのは災いを忌避するためでもありました。

 

十数年前に我が国の首相が鬼気迫る演説をして衆議院を解散したことがありました。首相としては自分の信念を貫きたかったからでしょう。私が注目したのは、その日の干支が甲子だったことです。(日にも干支があります)

 

他のことでもこの首相が何か思い切った決断をする日の干支に“なるほど”と思うことがあったので注目したのです。甲子の日を選択したのは偶然ではないでしょう。甲子の歴史的および運勢的意味を知ったうえで決めたのだと思います。偶然だとしたら強運すぎます。


「甲子革令(かっしかくれい)」とともに知られている言葉に「辛酉革命(しんゆうかくめい)」があります。辛酉(かのととり)の年は天命が改まるという意味です。

 

古代王朝は甲子と辛酉という干支を意識して革令・革命を行ってきました。

 

桓武天皇天応元年(781)の辛酉に即位し、延暦三年(784)の甲子に長岡京遷都をしています。故(ゆえ)あって長岡遷都からわずか10年で平安遷都をします。遷都の干支は甲子でも辛酉でもありませんが平安遷都の10月22日は辛酉の日です。

 

桓武天皇は遷都の三日後に新しい都の造営に関わった官人を招いて祝宴を催しましたがその日の干支は甲子なのです。初代神武天皇の即位も辛酉の年と日本書紀に記されています。


辛酉の改元・即位

神武元年 神武天皇 橿原宮で即位
天応元年(781) 桓武天皇即位
応和元年(961) 元号を改める
治安元年(1021)元号を改める
永保元年(1081)元号を改める
永治元年(1141)近衛天皇即位
建仁元年(1201)元号を改める
弘長元年(1261)元号を改める
元享元年(1321)元号を改める
永徳元年(1381)元号を改める
嘉吉元年(1441)元号を改める
文亀元年(1501)元号を改める
文久元年(1861)元号を改める

甲子・辛酉の干支を意識した改元・即位は古代から江戸末期の文久元年(1861)まで継続していたことになります。